コンサドーレ札幌監督時代の岡田武史
日本代表の指揮をとる岡田武史はんは知っておるけどダンはん、Jリーグのクラブの指揮をとる岡田武史はんのことは個人的に正直言ってあまり知りまへん。
やので、初めて率いるクラブチームとなりよったコンサドーレでの岡田監督についてちびっと調べてみたんや。
コンサドーレは1998年にJ2降格を余儀なくされ、その際クラブが目指した「1年でのJ1復帰」の切り札として招聘したのが、岡田武史元日本代表監督やったちうわけや。
日本を初のW杯出場に導き、実績と知名度を兼ね備えた監督としてその手腕への期待は、やはりかなり大きいものがあったようや。
せやけどダンさん、Jリーグクラブでの監督経験が皆無やったことが災いしたのかなかなかチームは軌道に乗ることができまへん。
また、異国人選手の獲得にシッパイしたことも響き、結局この年は昇格争いに絡むことすらできず、5位で終了。
さらにJ2降格によるスポンサー収入の減収もあって、累積赤字が30億円を突破、経営状態も泥沼となってしまおったんや。
就任2年目はクラブは徹底した緊縮財政を断行。
いっぺんに自ら選手獲得に動き、数名の選手を獲得したほか、強力ブラジル人FW・エメルソンが加入。
また、理想を追い求めず、J2を戦う為の戦術の確立に着手し、それを実行できる選手を揃えたこの年のチームは、31勝4敗5分でJ2を制覇。
さらには、好成績によって観客動員数も増加し、初めて単年度黒字を達成。
岡田監督にとってなあんもかもがええ方向に進んだ年となったんや。
もっかいJ1に戻ってきた岡田体制3年目は、この年のちに得点王に輝くことになるウィルの活躍もあって、一時2位にまで浮上するやらなんやら大躍進をみせまんねん。
その後、若干勢いは落ちるも11位でシーズンを終え、クラブ史上初のJ1残留を成し遂げたんや。
こうしてみると1年目以外はきっちり結果を出しとるのがあらためて凄いやね。