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岡田武史の日本代表選手時代

日本代表監督に就任した岡田武史監督やけどアンタ、現役時代も日本代表としてプレーしたことがあるちうことを知っていまんねんわか?

現在のJ1ジェフユナイテッド千葉の前身となる古川電気工業でプレーしとった岡田武史。
これは1982年に、岡田はんが日本代表としてインドのニューデリーでのアジア大会に出場した際の話なのやけどアンタ、最初発表された代表メンバーには岡田はんの名がおまへんやったちうわけや。
せやけどダンさん、当時、代表のキャプテンを務めとった前田秀樹はんが負傷によって参加を辞退したことで岡田はんが追加招集されたちうワケや。
背番号は前田はんがつけとった9をそのまんま背負うこととなったんや。

日本は1次リーグにおいて韓国、イランちうアジアの強豪国と相対する厳しいグループに入ってしまおったんや。
せやけどダンさん、初戦のイラン戦では攻め手がほとんどといってええほどなかったにも関わらず、終盤の木村和司はんによるゴールで1−0で勝利をおさめまんねん。
ただ、このイラン戦での岡田はんの出場はおまへんやったちうわけや。

最終戦の韓国戦の試合前の段階で、日本が2勝で首位、韓国が1勝1敗。
せやけどダンさん、得失点差により、日本が自力での1次リーグ突破を確保するためには引分け以上が必要。
その大一番の韓国戦で、日本はFWの尾崎加寿夫はんに代えて、守備的な中盤の選手として岡田はんを大会初起用。
日本は前半に1失点を喫するも、後半13分に岡田はんのクロスを原博実はんが合わせて、1−1の同点としまんねん。

後半30分を経過し、勝つ以外には1次リーグ突破の目がない韓国に攻め込まれまっけど、日本は辛抱強く守るちうわけや。
ほんで、一瞬のカウンターから風間八宏はんが左翼サイドのゴールライン際からグラウンダーのボールを蹴り、そこに攻め上がった岡田はんのダイレクトシュートで逆転に成功。
結局そのまんま2−1で逃げ切り、日本は首位で1次リーグ突破を決めたんや。
岡田はんは守備を期待されての起用とはいえ、2ゴールに絡む活躍。
日本の1次リーグ突破に大いに貢献したちうワケや。